その年の夏、僕と静香は水上家の軽井沢にある別荘でのディナーに招待された。この招待は僕に二つのことに対する好奇心をかき立てさせた。一つは、別荘でのディナーというのがどういうものかと言うこと。僕の両親は旅行好きだが、それ故に『なぜ好きこのんで休みのたびに同じ場所に行かなければならないのか』という理由で別荘を所有していない。だから、長い休みの時のディナーといえばホテルや旅館か旅先のレストランなど他の客が居るところで食べるのが普通だ。僕も親の影響で旅好きなのでそれ自体は楽しいのだが、別荘のような場で旅先でありながら自分たちだけのために作られた料理を食べるというのがどんな感じになるのかにも興味があった。もう一つは、招待をしてくれた水上智という人がどんな人物か知りたかったと言うこと。あの学校にあった秘密の地下で静香が志郎に聞いたこととその答えは、二人が『智様』と呼ぶ人物に大きな尊敬と信頼を寄せていることを感じさせた。それは単に本家の当主になる人間だからというレベルではなかったと思う。そのような尊敬を受けているのがどのような人物か興味を引かれたのだ。
「本来ならばカクテルパーティーというところだけど、お客様が未成年だからティーパーティーにさせてもらいましたよ」
一通りの挨拶が終わった後、水上氏はそう言って僕たちにお茶を勧めてくれた。お茶を一口飲んだ後、静香は水上氏に言った。
「今回のことで七宿がばらばらになってしまいました。申し訳ありません」
「『とみて』が謝る必要はない。こうなったのは今回の件ではっきりと方針を決めなかった私の責任だ。謝るのはむしろ私の方だよ」
「そんな」
「あの、方針を決めないのは良いんですけど、水上さんは弘樹先輩を止めることはできなかったんですか？」
「私が止めれば彼は止めただろうね。ただ、私には彼を止めることが本当によいことかどうか確信が持てなかった。だから何もしなかった」
「そんな、人類を間引くなんて事を止めることが悪いことになるとは思えません。人殺しを止められるのに止めないのは無責任だと思います」
「保」
その時、部屋にメイドが来て言った。
「お食事の準備が整いました」
この言葉で、その話は一時中断となった。
食事は魚料理まで進んだ。魚料理は蛙のムースだった。
「フランスのオーベルジュ・ド・リルみたいですね」
「コックが以前オーベルジュ・ド・リルで修行していたのでね。君は行ったことがあるのかい？」
「ええ、アルザスの本店へ」
「現地の人とは話したかな？」
「はい、ある程度ならフランス語もドイツ語も話せますから。でも、若い人にはフランス語が通じるのに、年配の人にはドイツ語の方が通じるのは変な感じでしたね」
「彼らにとっては、元々両方とも外国語だからね。『最後の授業』は読んだこと有るだろう？水森先生が好きでみんなに勧めているから」
「はい」
「第二次世界大戦後、アルザスを取り戻したフランス政府はアメル先生がやりたかったことをやった。その結果どうなったと思う？」
「いいえ」
「フランス語教育の強制に反発したアルザス人が独立運動を始めてテロが頻発したそうだ。このときにアメル先生が居たら何をしただろうね。フランス語を教えてアルザス人から『アルザス語』という牢獄の鍵を取り上げたかな？」
「？話が見えませんけど？」
「信念に基づいた行動が信念を否定する例として挙げたのだよ。わたしも『うみやめ』が誰か一人の人間を自分のために殺そうとしているのなら迷わずに止める。人の命は重いからね。しかし、『ギャラルホルン』の力で神々の黄昏を起こそうとして居るとなると、止めた場合と止めなかった場合でどちらが悲惨な死を迎える人間が少なくなるか判断が付かない。『うみやめ』は神々の黄昏が起きた方が悲惨さが少ないと判断したのだろう。それを否定できない以上、私には止めることはできない。だから私は、この問題に対して何もしないという決断をしたのだよ。しかし、そのために君が友達を失ったことについては申し訳なかったと思っている」
「いえ、そんな」
僕は思った。この人は物事を深く考えすぎて身動きが取れなくなっているのだ。そして背負い込まなくても良いものまで背負い込んでいる。こういう人物を周りが支えたくなる気持ちはよくわかる。でも、こんなある意味優柔不断な人物の判断に従う、静香や志郎の気持ちは理解しがたいものがある。
食事の後、僕と静香は外に出て夜空を見上げた。
「ここらは空気が澄んでいるね。すごい星空だ」
「ねえ、あそこを見て」
そう言って静香は東の空を指さした。そちらの地平線近くに明るい星が輝いていた。
「あの明るい星が木星。そのすぐ上に小さな星があるでしょ。判るかな」
「小さな星が、一、二、三、四つ見えるけど」
「その中で上から二番目、あの星が私の星『とみて』。都会では見えないけどここなら見えるわ」
その星は小さく目立たなかったけど、多くの星がある場所から少し離れてはっきりと存在が判った。昔僕が存在に気がついたときの静香のように。