「良い旅を」
不機嫌そうな顔をしていた入国管理官から、いきなり好意的な声をかけられて房園はとまどいながらもパスポートを受け取って中華人民共和国領内に入国した。どうやら、着陸寸前に箕輪がパスポートに挟んだ『鼻薬』が効いたらしい。戻ってきたパスポートからは、挟んであった高額人民元紙幣は当然のように失われていた。
イミグレーションを抜けて二人は合流した。
「『みぼし』さん、さっきの賄賂はなんか意味あったんですか？」
「おいおい『そいぼし』君、そんなに露骨な言い方をするんじゃない。この国ではどこで誰が聞いているか判らないんだから」
「そんな。日本語でしゃべって居るんですから、判るわけ無いですよ」
「甘いな。最近この国では日本語を解する人がかなり増えているんだ。特に、国家安全企画部の職員は日本語が話せなければ仕事にならない。気をつけることだ。まあ、そんな連中に近づかれないようにおまじないをしたんだけどな」
「？？どういう意味です？」
「この国に入国した外国人には原則『護衛』がつくのだよ。本人に気がつかれないようにね。それを遠慮したいと申し出たわけさ。そうしないと、これから案内してくれる人が合流しにくくなる」
「案内してくれる人ですか？」
「噂をすれば、ほら彼だ」
箕輪が指し示した方向から、顎髭を生やした初老の中国人が近づいてきた。
「箕大人、お久しぶり」
「お久しぶりです王道士。ああ、まず同行者を紹介しましょう。こちらは房園君。『房』と呼んでやってください」
「房日兎ですか。よろしくお願いします、房大人」
「『大人』なんてたいした人間じゃないです。『房』で結構です。こちらこそよろしくお願いします、王先生」
「私こそ『先生』と呼ばれるほど偉くないです。それなら、日本語で『房』さん、『王』さんと呼び合いましょう」
「ええ、その方が良いですね、王さん」
「いつまで続くかな。私のことも『箕』さんにしてくれって言ったはずなのに」
「そうでした。いや、箕さんは大人の風があります。つい大人と呼んでしまいます。それはそうとして、今回はどのようなお仕事で中国へ来たのですか？」
「いえ、ちょっと斉天大聖の如意棒を見せてもらいにね」
箕輪の言葉に王と呼ばれた男は顔をしかめた。
「『中南海(中国共産党首脳部)』の依頼ですか」
「いえ。なぜそう思われたのですか？」
「斉天教を調べに来たのではないのですか？」
「斉天教？新興宗教ですか？」
「ご存じないですか。最近蘭州の周辺で拡大している新興宗教団体です。政府の認可は取ってないですが、地元の共産党とコネがあるのか取り締まられてはいません。でも中南海はどう考えているか。。。。。」
「その、斉天教というのはどんな団体ですか？」
「道教の一派です。けど、ああ、説明が難しいです」
「妙な術でも使うとか？」
「妖術は使います。自分に対して施すのです。それにより特別な力を付けることができると言ってます」
「で、そこが如意棒を持っているのですか？」
「彼らはそう主張しています。彼らの本拠にある廟所に斉天大聖の象徴として如意棒を祀っているというのです」
「本拠というのはどこですか？蘭州の近く？」
「ドゥンファンです」
「敦煌ですか！？砂漠のど真ん中というイメージがあるんですけど。本当にそんなところに宗教団体の本拠があるんですか？」
房園が驚いた声で口を挟んだ。
「そうです。房さん、よくご存じだ」
「まあ、日本でもシルクロード特集なんかでよく出てきますから。しかし、そんな町じゃあ信者を集めることもできないでしょう？それとも、観光地化されて日本でイメージするより開けているんですか？」
「いえいえ、敦煌は観光客は多いですけど小さな町です。でも、我が国では小さな町ほど団体を維持しやすい。ヘタに大都市で活動をすると、法輪功のようになりますからね」
「しかし、今までの話を聞く限りでは、中南海が気にするような集団には思えませんが」
「箕大人、それは実体をごらんになれば判ります。百聞不如一見。お望みならば斉天教の本拠までご案内します」
「是非お願いします」
敦煌空港に到着してレンタカーを借りた一行は、車を出してすぐ武装警察にその行く手を阻まれた。武装警察は、三人に車の外に出るように促し、尋問を始めた。それに対して箕輪はなぜか激しくくってかかった。
「何か不都合があるんですか？僕たちは観光に来ただけですよ！」
「移動許可証は？」
「何ですかそれは。敦煌を見るのにそんなものが必要だなんて誰からも言われませんでしたよ」
「いや、まあ、今まではそうだったが、、、」
「何で変わったんですか？」
「それは、、、いや、外国人に話すことではない。それよりおまえらは町の外れの方へ行こうとしていたが、そんなところに観光する場所があるのか？」
「砂漠を眺めて三蔵法師が出発したときの気分に浸ろうと思ったんですよ。僕は西遊記が好きなんでね」
「ああ、日本人が我が国の伝奇小説を好んで読むことは知っている。しかし、」
「それに、、、、、、、」
箕輪は尋問していた武装警察官の耳に何事かつぶやいた。
「そ、そうか。まあ、それなら問題ない。うん。気をつけてな」
武装警察官はそう言ってその場を去っていった。心配そうにその様子を見守っていた房園が箕輪に話しかけた。
「『みぼし』さん、何でけんか腰だったんです？入国審査の時みたいに賄賂を渡せばすんだんじゃないですか？」
「何かして欲しいときに賄賂を渡すのは下策だよ。見返りを求めた賄賂は、渡す方も危険だし渡される方も迷惑だ。上策は先行投資だよ」
「じゃあ、前にあの警官に賄賂を渡していたんですか？」
「いや、彼とは初対面だ。ただ、甘粛省の公安局長とはいささか面識があってね」
「さすが、箕大人。交友が広い。さ、うるさい人たちも居なくなったから先に進みましょう」
王が話の腰を折った。房園はまだ何か聞きたそうだったが、あとの二人がとっとと車に乗り込むのを見てそれに従った。
斉天教の本拠地といわれるところにたどり着いたとき、一行の日本人二人は我が目を疑った。
「あの、、王さん、、あの人達が持っている棒みたいなものですけど、僕にはライフル銃に見えるんですが目がおかしくなったんでしょうか？」
「房さん、良い目をしてますね」
「じょ、冗談でしょ」
「冗談は言ってませんよ。アレはライフル銃で間違い有りません」
「なるほどな。武警が出てくるはずだ。斉天教ってのは宗教団体とは名ばかりの山賊集団か」
どことなくかみ合わない会話の腰を折って箕輪が決めつけた。
「でも、そんな集団なら、何でとっとと制圧しちゃわないんですかね？」
「それは、彼らが新彊ウイグル自治区の共産党幹部にコネを持ってるからですよ。ウイグルで暴動が起きたときに鎮圧に協力したとかで。まあ、その幹部が暴動に人民解放軍や武警が出てくるとやばいことになるのを救ったというわけです」
「それって、ほとんど私兵じゃあないですか？かえって人民解放軍に目を付けられそうな気がしますけど」
「その幹部も中南海に全くコネがないわけではないですから、これを公の問題にするといろいろ差し障りが出てくるというわけです」
「つまり暴動だけでは本人しか処分されないけど、私兵を養ったとなるともっと上まで影響が出る訳か。そのせいでかえって武警が手を出しかねていると。まあ、いずれにせよこんな武装組織の本拠に生身で乗り込むのは自殺行為だな。式を使って偵察することにしよう」
そう言って箕輪は手で印を結びながら口の中で何か唱えた。そしてしばらく黙っていた後で、斉天教本拠の中の様子を話し始めた。
「中には、、、、2~30人は居るかな。思ったより少ないか。奥の方に行ってみよう。偉そうなのが三人いるな、こいつらが幹部だろう。孫悟空、猪八戒、沙悟浄といったところか。一番奥に座っている奴が斉天教の教祖かな。奥に神棚みたいなものがある。中には、、、、ビンゴだ。強力な気を発している棒が祀ってあるぞ。両端にわっかが填っているし、これが如意棒に間違いない。さて、別の場所、、、、、、、」
「貴様ら何をしている！」
箕輪の言葉は中国語の怒声で中断させられた。
「しまった、気づかれたか。『そいぼし』『なかご』『あしたれ』逃げろ！」
こちらの人数を多く見せて相手をひるませるため、箕輪はこの場にいない人間の名前も混ぜて叫んだ。しかし、怒声を上げた男はそれを気にせず箕輪につかみかかってきた。
「房さん。箕大人なら大丈夫。とにかく逃げましょう」
房園は王に促されるまま、車の方へと逃げ出した。
房園が車に乗り込むと、運転席の王は急発進をかけた。
「ちょっと、まだ『みぼし』さんが戻ってない」
「後で助けに行く。ここで私たちまで捕まったら、まとめて殺されるよ」
「でも」
房園が後ろめたさも手伝ってなお抗議しようとするのを無視して、王は車を敦煌市街へ向けて走らせた。悪路を猛スピードでとばす王の運転によるひどい揺れが、房園のそれ以上の抗議を遮った。
しばらくして車が市街に近づいたとき、突然タイヤから大きな破裂音がした。その直後車は制御を失い路肩につっこんだ。房園はそのショックで意識を失った。