別荘を訪れた保と静香は、別荘の主『ちちり』こと井戸田努に迎えられた。
「よう、よく来たなあ。君らが最後だ。もうみんな集まってるよ」
「お招きいただきありがとうございます。でも、土屋グループと関係ない僕まで来て本当に良かったんですか？」
保の遠慮がちな問いかけに、井戸田は微妙な笑みを浮かべて答えた。
「まあ、なんだ、むしろこちらの方こそ来てもらったことをありがたく思ってるんだよ」
歯切れの悪い答えに静香が鋭くつっこむ。
「『ちちり』、何を企んでるの？」
「うん、まあ、それは後で説明するよ」
「それは、南の身内である『たまのお』にも話せないことかしら？」
「『たまのお』が何か言ってきたのか？」
「ええ、私たち二人が伊勢に何しに行くのか知りたがってたみたいよ。貴方が話したのではないの？」
「まあ、それも後で」
井戸田はそう言って強引に話を切り上げた。
保達が部屋に入ると、中にいた温和しそうな女性が声をかけてきた。
「あら、いらっしゃいませ。えと。静香ちゃんでしたよね」
「ええ、静香です。相変わらず香さんは人の名前を覚えるのが苦手みたいですね」
「そんなことはないと思うんですけど、、、、、星崎の皆さんいろんな名前を持ってらっしゃるから。。。。。そちらの方は、ええと」
そう言って、香ると呼ばれた女性は初対面の保の名前を必死に思い出そうとしていた。その様を見かねたかのようなタイミングで、井戸田は部屋にいた人々に保の紹介を始めた
「ああ、みんなに紹介しないといけないな。こちら、『とみて』のボーイフレンドの倉橋保君。保君は『はつい』とフィアンセの彩花さん、『たたら』と奥さんの真琴さんには面識があるんだったね」
「はい、皆さん学校の先輩です」
「先輩という割には先日合ったときには気がついてくれなかったみたいだけど」
「え、ええと、その」
『たたら』の言葉に保が言葉を失うと、温和しそうな男が割り込んできた。
「『たたら』はあまり印象に残らないから、しょうがない」
「いま話した人のことが言えない男が『そいぼし』房園陽司くんだ」
井戸田が声をかけた男を紹介する。
「そして女性陣だが、『そいぼし』の隣にいるのが『ほとほり』星野恵さん。『そいぼし』のフィアンセだ。最後にさっき『とみて』に話しかけてきたのが僕の妻の香だ」
「さあ、皆さんそろわれたみたいですから、そろそろお食事の用意の仕上げに入りましょうか」
「え？香さんが作られてるんですか？」
香の言葉に静香が驚いたように聞く。
「人数も人数だしケータリングを頼めといったんだがな。大丈夫と言って聞かないんだ」
井戸田がその問いに答えた。
「まあ、お鍋なんですけどね」
「それならお手伝いしますよ」
「じゃあ、僕も」
「いえいえ、男性陣は手を出さないでくださいな」
静香に続いて声を上げた『たたら』こと両角和弥を香がやんわりと制する。
「うちは『男子厨房に入れず』なんだ。そんなわけだから邪魔な男どもはこっちで酒盛りを始めよう」
「『ちちり』、保は未成年なんだからそのつもりでね」
「わかってるよ」
『酒盛り』という言葉に反応した静香を、井戸田は軽く制して酒を取りに別室へと歩いていった。
戻ってきた井戸田は手にシャンパンのボトルを持っていた。
「秘蔵のドン・ペリニョンだ」
彼はそう言って5つのグラスにシャンパンを注いだ。
「え？僕は未成年ですから」
「保君、これ一杯ぐらいは良いだろ」
「はあ」
グラスに口を付けた房園が怪訝そうな顔をする。
「ドン・ペリニョンってこんなだったか？」
「これこそドン・ペリニョンだ。なにせオーヴィレール修道会が作ったものだからな」
「。。。え？ それじゃあこれは聖別された、、、、まさか、彩花が押しかけてくるのも計算に入れていたと言うことですか？」
「さすがに『たたら』は察しが良い。『はつい』と彩花さんが押しかけて来ることを予想して男女5人ずつ十人を招いたんだ。いきなり十人に招待状を出すとこちらの意図がバレバレになるからね」
「陰陽五行結界。なんのために？」
「それをこれから説明する」
井戸田はそう言って平べったい木箱を取り出し、その箱を開けた。その中には木でできた円盤状の物が入っていた。
「それは？」
「八咫鏡の霊的十分の一レプリカといった物だ」
「何故そんな物がここに？」
「式年遷宮のたびに神宮から我が家に預けられているのだ。詳しく手続きを説明するとこういうことになる。式年遷宮において旧本殿から新本殿に八咫鏡をお移し奉る手続き、これは秘儀中の秘儀なので絶対他言しないように、それはこんな手続きになる。まず、神器本来の霊威は強すぎて持ち運びが困難なので、その御霊を半分にして持ち運び可能にする。神器から出された御霊のうち五分の一は予備の鏡に宿して先に新本殿へ移す。残りの十分の三を三つに分けてそれぞれ木製のダミーに宿して、それぞれ選ばれた家に預ける。遷御の儀が終わったら、これを秘密裏に新本殿へ持ち寄りそこで分けた御霊を再び本体に、もし本体に問題があった場合は予備の鏡の方に、集めて神器に再び従前の霊威を取り戻させるわけだ」
「どういった経緯で『ちちり』の家が選ばれたんだ？」
「うちが選ばれた訳じゃない。我々の一族全体が選ばれて、四木家が代表して交代で役目を務めている。他の二家が出雲国造の分流と隼人の末裔だと言うところを見ると、東夷を代表して選ばれたと言うところだろうな。この別荘はその役目のために建てた物で、一応登記上は現在うちの持ち物になっているが、うちが独占して使っているわけではない」
「じゃあ、遷宮のたびに十人が集められているのか？」
「それは変ですね。だとしたら何故今回に限り秘密裏に事を進めようとしたのですか？ いや、それ以前になぜ我々はそのことを今まで知らなかったのですか？」
「まあ、本来日本国の秘儀と言うことなので、命を受けた本家と四家、実務を行う四木家のみにしか知らされていないことなんだ。もっとも、一族の記録の行間を読めば、これを匂わせることが記されていることはわかるけどね」
「じゃあ、陰陽五行結界を張ろうというのが今回初めてと。なぜ？」
「実はね、今回他の二つのダミーが何者かに盗まれたんだ。まあ、ダミーが失われること自体はたいしたことではない。どのみち遷御が終われば燃やしてしまう物だし、盗まれたのもこれが初めてではない。以前盗まれたときも神宮の神威には些かの衰えもなかった。神宮の神職連中も『最近は罰当たりな泥棒が居るもんだねえ』と言うだけであまり気にしていない。しかし、ダミーとはいえ霊験灼かな品物だ、使いようによっては結構やっかいなことになる。例えば最初に盗まれた―――と言うには実は多少語弊があるのだが―――時の一族の記録には『天平神護2年 太政大臣禅師来訪。預かりもの失せる』とある」
「太政大臣禅師？それとダミーの神鏡となんの関係が？」
「道鏡だよ。はっきりとは書いてないけど、彼が持っていったんだろう。この直後、道鏡は法王になってる。このほかにも、盗難があった後ではいろいろ大きな異変が起きている。つまりこのダミーの神鏡を盗むのは、その力により何らかの騒ぎを起こそうという輩である可能性が高いわけだ」
「それを防ぐために結界を張ると。秘密裏に進めようとしたのは、一族の中にその輩の一員が居ると考えたわけですか」
「そう。恥ずかしながら、おそらく我々南の衆の中にその一員が居ると考えられる」
台所では、香と真琴が中心になっててきぱきと料理の準備が進められていた。
「ほんとに手際が良いですね、ええと、あの」
「真琴よ。。。まあ、いつもやっているから慣れもあるかもね」
「やっぱり、女性は料理が上手い方が良いんでしょうか？」
「静香ちゃん、そんなことないよ！」
「なにムキになってるんだ？彩花は」
なにやら険悪な雰囲気になりかけたことにあわてた恵が無理矢理話題を変えようとした。
「っと、ところで、さっき香さんが言ってたことですけど、泥棒の中に南の者が居るってほんとなんですか？」
「さあ、私は努さんに伝えるように言われたことを伝えただけですから」
「ひょっとして、『たまのお』が？」
「『とみて』だったか？どうしてそう思う？」
「日高静香です。実は、、、、」
静香はそう言って先日の『たまのお』こと鬼塚の不審な行動について説明した。
「ふん。でも、それだけでは裏切り者が『たまのお』という確信までは持てないな」
「真琴さん、裏切り者というのは違いますよ。別に私たち一族は八咫鏡を護ることを使命としているわけではないですから。現時点で敵対する相手と言うべきですね」
「仲間に対する言いようじゃないな」
「私たち一族は、遠い親戚であって仲間じゃないです。今の世代の西の皆さんはとても仲がよろしいようですけど、他の者も同じだと思っていると足を掬われかねませんよ」
「ご忠告はありがたく受け取っておくよ、『ほとほり』さん」
「あの、ところで陰陽五行結界ってなんですか？」
料理が一段落したところで、彩花が香に聞いた。
「え？彩花おまえ知らなかったのか？」
「なによ、そう言う貴方は知ってるの？」
真琴が驚いたように口を挟んだのに、彩花が言い返す。
「和弥は知っていたし、星崎の人間はみんな知っているもんだと思ってたんだけど」
「どーせ私は星の名を継ぐ者じゃありませんからね」
「私は『とみて』の名を継いでますけど、その結界については知りません。真琴さん、ご存じでしたら説明して貰えませんか」
「うん。まあ、説明するほど複雑な結界ではないんだけどね。聖別された十人の男女がそれぞれ十干を割り当てられて、所定の方角を守護することにより張る結界なんだ。守護と言っても特に何かする必要はない。ただ、そこに居るだけで結界は張られる。その代わり結界の力はそんなに強くない、と言っても『十人も人数をかけた割には』と言う意味だけど、部屋に忍び込んで物をちょろまかす妖怪の侵入を防ぐのが精一杯だ。強力な妖怪が力ずくではいるのは防げない。まあ、霊験灼かなお札を貼る程度の効果だな」
「なんで、その程度の結界を張るためにこんな大騒ぎをするの？」
「まあ、お札じゃ人間の侵入は防げないからね。誰か人間が盗みに来ると考えているんじゃないの？香さん」
真琴にふられた香は、特にそれを否定するでもなく話をそらした。
「さあ、もうそろそろ料理をお出ししないとね」
「あ、香さんもう一つだけ。所定の方角を守護するって、私たち何をすれば良いんですか？」
話を終えようとする香を制して静香が聞いた。
「ああ、特別なことをする必要はないの。ただ、パートナーと一緒に一晩所定の部屋にいてくれればいいわ。貴方は、あの一緒に来た男の子とね」
「ちょ、それは、嫁入り前の女の子が、男の子と一晩二人きりって、不味く、、、、」
「まあ、そこら辺は皆さんの良識を期待します」
香はそう言って、居間へと向かった。